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ローマ帝国の属州から始まった総色大理石モザイク

ヌミディアン・マーブル
GIALLO ANTICO

 ジャッロ・アンティコ大理石は、ローマ時代から全ての時代において用いられた、最も素晴らしい黄色大理石です。非常に細かい粒子で密度が高く、色彩の幅は黄金色からオレンジを帯びた明るい黄色、または赤味を帯びた肌色に及びます。ヌミディアン・マーブルは、紀元前1世紀以前頃からローマに伝えられた大理石のうち、最も初期のものです。博物誌などを書いたローマの将軍プリニウスによれば、執政官のマーカスレピドゥスが自宅のドアステップにヌミディアン・マーブルを初めて使い、ひどく非難されたということです。彼は、ヌミディアン・マーブルを使ったことが、後にどれくらい幸運なこととなるのか、想像も出来無かったことでしょう。シーザーを追悼するために、約20フィートの高さのヌミディアン・マーブルの巨大な列柱が、「我々の国の父に捧げる。」として広場に立てられた。とスエトニウスは記しています。

 アウグストゥスと彼の後継者のもとで、ジャッロアンティコは普遍的に賞賛されました、そしてその莫大な量がChemtouの丘からローマまで運ばれました。(Chemtou→Tabalka→Rome)3世紀には、採石場はローマ帝国の資産となったものの、理由は分りませんがその輸出量は減少し始めました。ジャロアンティコは主にイタリアで使用され、イタリア以外では、アルルの劇場、イズミルの体育館、そして、アテネのハドリアヌスによって建設された体育館(Pausaniusによれば、リビアの採石場から輸入された、100本もの柱が使用されました。)などの2、3の大きな公共建物でしか用いられませんでした。

 現在、ヌミディアン・マーブルは各地でのローマ遺跡やモザイクで確認できます。特にシチリアのピアッツア・アルメリーナ・カザーレ荘のモザイクは北アフリカの職人による特有の表現と大理石であることは考古学研究で知られています。バチカン美術館に保存されているカラカラ浴場の拳闘士像では人体表現の重要な諧調パートとしてジャッロアンティコは確認できます。

 ヌミディアンマーブルによるモザイクは、現在チュニジアのカルタゴ博物館、バルドー博物館、スース博物館、エルジェム博物館やローマ遺跡ではブラレジア、ドッゥガなどでご覧になれます。なかでもバルドー博物館はモザイクのルーブル美術館と言われています。その質、量ともに素晴らし内容です。2005年エルジェム博物館は修復改装が終了し、重要なモザイクも隣接するローマ遺跡とともに公開されています。

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