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 現在よく知られている最も古いモザイク技法はメソポタミアに見られるもので紀元前3000年頃のウルのスタンダード(大英博物館蔵)や、ウルク神殿の円柱に彩色テラコッタの細かい円錐型ピースで上張り装飾された(ベルリン:ペルガモン博物館蔵)ものがある。その後モザイクは小石(玉石)などで床を化粧上張りする様式が誕生した。代表例として小アジアのPhrygieのGordionに紀元前8世紀のものがある。

その後徐々に地中海沿岸へと広まっていった。

  まずクレタ島(Knossos)、ギリシャ(Pella: アレキサンダー大王生地、紀元前3世紀:玉石モザイク)と広まっていったが、実際は主にギリシャ人によって開発されたと伝えられるサイコロ状の立方体テッセラを基準に図案を表現するオプス・テッセラテュム(OPUS TESSELLATUM)の技術とともに地中海沿岸の国々へ広められたといってよい、(アルジェリア、チュニジア、リビア、モロッコ、スペイン、フランス、イスラエル、トルコ、レバノン、シリア、ヨルダンなど)、ローマ帝国の拡大と繁栄ともにその植民地、属州へ文化や建築技術が伝播し、モザイクは広がっていった。

 最初のプリミティブなモザイクは、地面の上のものである。この技術は、次の二つの拘束から発展して来た。まずは、材料、もう一つは場所の問題である。ビザンティン以前は、単一に石、または海や川原の小さな玉石を使用していた。― Porphyres斑岩(赤)― Marbres 大理石(白・黒)、― Travertins 石灰華(緑)など。

 その後モザイクはビザンティン文化の下で、エマイユ(Emauxガラス板)の使用をもって新しい発展をつかんだ。

 エマイユは、4〜5世紀頃から現れ、次第にモザイクの技術に適合するように完全に洗練されていった。この時期から、モザイクはその機能を変え、しばしばフレスコに代った役割をするようになった。石で表現されたモザイクは、透明度がないが、ガラスのSmaltは色彩と鮮明さをモザイクにもたらした。

―モザイクの壁画は本質的にはエマイユをもって始められたといえる。それは、石よりも運搬が容易で軽いこと、垂直な面での表現の可能性から来るものである。
 モザイクは、4〜5世紀からキリスト教教会の中に現れる、その目的として忠実な信仰の教えのため(聖像)を表現することであり、ローマ、ラヴェンナ、ビザンティン帝国などにおいても、その神学上の機能に従っていた。

 油彩画の出現によるある長い活動停止ののち、モザイクが再び現れるのは、19世紀の後半になる、それはセメントのモルタルが内部、外部を問わずモザイク壁画を強靭なものとしたということがいえる。

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